幸せの画廊

3月11日が終わりました。

ほんとうは、3月11日が特別な日、なんて言ったら、他のおなじくらい特別な日々を蔑ろにしてしまうのかもしれませんね。
人類20万年、西暦誕生からだったら1483年、人々は歴史を積み重ねてきました。
成功も失敗も喜びも悲しみも、生も死も愛も憎しみも、一日一日に堆積された歴史の濃度を比較することなんて、誰にもできないでしょう。

私にとって特別な日、私にとってなんでもない日、そういうものはあって当然。でも所詮、そこまでのことしか言うことが出来ない。

東京大空襲から70年の3月10日、
東北地方太平洋沖地震発生から4年の3月11日。

どちらも事実です。
3月10日に奉天会戦を日本軍の歴史的勝利で終結させようと、東海道・山陽新幹線が全線開通しようと、
3月11日に磯野カツオの誕生日がやって来ようと、ジャイアントパンダの存在が欧米に知られることになろうと、
3月10日は東京大空襲の日、3月11日は東北地方太平洋沖地震の日。

どれだけ明るいキャンバスであっても、一度真っ暗く塗りつぶしてしまえば、
それまでの明るい色も、その先の明るい色も、いくら塗ったってキャンバスは暗いままなんです。

けれども、記憶という名のキャンバスだったら、時間が経てば最初の色に戻ってゆく。
初めの色が明るめだから、暗いキャンバスの方が元に戻るのに時間がかかるだけ。



風化という言葉があります。記憶を風化させてはいけない、とよく言われます。

「釜石の奇跡」として知られていたあの出来事、しかしその裏で、命を亡くした人もいた。このままでは、陰のない美談になってしまう。亡くなった命の存在が闇に葬られてしまう。だから、「釜石の出来事」と呼び方を変えた。そんな話だってあります。

暗いキャンバスだって、必要なのかもしれません。
ただ、明るい色も、暗い色も、どちらも同じくらいの価値を持っているのに、強いのはいつも暗い色なんです。



1年、365日分の、365枚のキャンバスを並べてみてください。
暗いキャンバスは、どれくらいありますか。
その中でも特に、真っ暗なキャンバス、どれくらいありますか。

これだけのキャンバスが並んでいる光景、そんなに暗いものでもないんじゃないかな。
なんだ、案外明るいじゃん、と思えるかもしれません。
人って案外、幸せなのかもしれません。

じゃあ今度は、それだけのキャンバスの中に、とびっきり明るく、輝いているキャンバス、ありますか。
あれば、その人はもっと幸せ。

もともとが明るい色のキャンバスを、暗く塗るのは簡単だけど、明るく輝かせるのはとっても難しい。でも、できないなんてことは絶対に無い。



あなたのキャンバスを一枚、わたしたちに貸してください。
とびっきり明るく彩って、お返しします。

それが真っ暗なキャンバスでも構いません。
もしも、お借りしたキャンバスが真っ暗だとしても、
そのキャンバスをもう一度並べ直せば、
きっとその光景は以前よりも明るくなる。
そうなるように、キャンバスを彩って、お返しします。


それが、わたしたちにできること。
のつきみ祭という場を通じてできること。

みなさんそれぞれ、とっても魅力的な画廊をお持ちなんですから。